2009年1月4日日曜日

「杉本博司 歴史の歴史」展@金沢21世紀美術館




まず、杉本博司との出会いは07年6月、大阪国立国際美術館でした。

企画展の「ベルギー王立美術館展」よりも常設スペースに展示されていた
「杉本博司 新収蔵作品展」に衝撃を受けたのが最初。

そのあまりにシャープでエッジのきいた作品から発せられる美意識に
私がイメージしていた写真作品の概念が音を立てて崩れ、
見せ方も超一級の上手さ!写真作品でこれほど感動したのが新鮮でした。

その後、直島で観た水平線の作品や家プロジェクトの「護王神社」など
只者ではない凄さを感じる作家として気になる存在となったのです。

ただ、写真作家だとずっと思っていたので、今回の展覧会の概要を知り、

~「法隆寺 伝来裂」「正倉院 伝来裂」「紺紙銀字華厳経 一巻」
など『奈良』と非常に関係の深いものをコレクションしていることや、
化石や縄文土器から古美術品、そして宇宙食や18世紀医学書、
第二次世界大戦時のタイム誌といったものまで非常に幅広いコレクションと
杉本自身の写真作品が併存して展示されていること。

また、天平期建立の当麻寺東塔の古材(これも彼のコレクション!)と
杉本の新作写真によって構成されるインスタレーション作品など~


まず小さな驚き。そしてむくむくと好奇心と観たくてたまらない衝動が
加わって金沢まで出かけて行ったのでしたが、
本当に、出かけた甲斐があったというものです。

上に書いたような幅広い様々なコレクションの単なる展示と思うなかれ。
(当たり前だけど)

以下、美術館のサイトに掲載の杉本自身の言葉より。

『アートとは技術のことである。
眼には見ることのできない精神を物質化する為の。

私のアートとは私の精神の一部が眼に見えるような形で
表象化されたものである。いわば私の意識のサンプルと言っても良い。
私はアーティストとして長年この技術を磨くことを心がけてきた。

アートの起源は人類の起源と時を分ち合う、
それは人間の意識の発生をもってその始源とするからだ。
私は私の技術を磨く過程の中で、学ぶべき先人の技術を体得する為の
手本が必要とされるようになっていった。
手本は先人が到達すことができた地平のサンプルと
呼び変えても良いだろう。
一つのサンプルを入手してその技術を会得すると、
会得されたその精神は又次のサンプルを欲するようになる。
一つのことを理解することとは、
その奥にさらに深い未知があるということを理解することだ。
こうして私のサンプル収集は連鎖反応を起こして、
どこへ行くとも知れず漂流するようになった。

ここに集められたサンプルは、私がそこから何かを学び取り、
その滋養を吸収し、私自身のアートへと再転化する為に、
必要上やむを得ず集められた私の分身、いや私の前身、である。』

杉本の作品制作に特別な意味を持つ収集品の数々。
それはひとつひとつの展示室を観ていくうちに
私の中にも「杉本博司」という作家の精神がおぼろげながら理解でき
その創造の源に触れ、その世界観をまるごとダイナミックに知る
そういう楽しみを体感できるという、
初めて体験する非常に味わい深い展覧会でした。

その収集品と自身の作品を組み合わせて創ったものも何点か。
ポスターに掲載の曼荼羅図のように複数のコレクションを組み立てたもの。
他にもたくさんの仕掛けがあって作品解説とあわせて見るとかなり面白い。

中でも圧巻は、当麻寺の三重塔から出た古材とのコラボ作品「反重力構造」
これはもう観てのお楽しみで詳細は省略しますが、私はこの後奈良に帰って
当麻寺まで出かけました。そういう突き動かす力を備えた不思議な作品。

それにしても・・・個人のレベルでは到底考えられない国宝級のものが。
(後で読んだBRUTUSの特集記事によると作家は以前NYで古美術商を
営んでいた目利きでもあったのです。蛇の道は何とか・・なのか
それにしてもすごいルートがあったもので・・・。)
レンブラントのエッチング、杉田玄白「解体新書」初版本、
エジプト「死者の書」断片、正倉院伝来裂・・・本当にどうして~?と。

奈良関連のものも多いですよ。天平時代の裂の他に、
春日鹿曼荼羅、春日若宮曼荼羅、春日四所若宮本地懸仏、
当麻寺三重塔創建時の古材、
紺紙銀字華厳経 一巻(二月堂修二会の失火で受けた焼損の痕が残るもの) など、すごいでしょ?
他に、ちょっと感動したのは、コレクションの最初の展示室の化石。
美しい文様が素晴らしく 彼の美意識の高さがわかるというもの。

4月から大阪国立国際美術館に巡回されるようなので
関西の方、お楽しみに!